大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和41年(行ケ)175号 判決 1972年4月26日

原告

高北新治郎

右代理人弁理士

弓気田健

蕚経夫

被告

特許庁長官

井土武久

右指定代理人

渡辺清秀

外一名

主文

特許庁が、昭和四十一年九月二十一日、同庁昭和三四年抗告審判第八九五号事件についてした審決は、取り消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、被告指定代理人は、「原告の請求は、棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」

との判決を求めた。

第二  請求の原因

原告訴訟代理人は、本訴請求の原因として、次のとおり述べた。

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和三十二年十一月二十日、名称を(農用牽引車の進行停止装置」とする発明につき、特許出願をしたところ、昭和三十四年三月十三日、拒絶査定を受けたので、同年四月十四日、これに対する抗告審判を請求し、同年抗告審判第八九五号事件として審理され、昭和三十九年一月二十九日出願公告があつたが、S造機株式会社から特許異議の申立があつた結果、昭和四十一年九月二十一日、「本件抗告審判の請求は成り立たない。」旨の審決があり、その謄本は同年十一月二日原告に送達された。

二  本件審決理由の要点

本願発明は、その出願前である昭和三十二年十一月六日から同月十七日までの間、東京都千代田区日比谷公園内において開催された、通産省及び都道府県主催、日本農機具工業会等協賛の第八回日本農機具輸出振興展覧会(以下「展覧会」という。)にその発明を実施した耕耘機が出品展示されたが、この出品は、抗告審判請求人(原告)が代表者であるT農機株式会社の社員であるSが同会社の代表者である抗告審判請求人より委任を受けて、同会社の名のもとに行なわれたものであり、この出品は、同会社の代表者である抗告審判請求人の不注意、過失、監督不行届などによるものというの他なく、抗告審判請求人の意に反して、されたものと認めることができないから、結局、本願発明は、その出願前国内において公然と知られたものであり、旧特許法(大正十年法律第九十六号。以下同じ。)第四条第一項に該当し、同法第一条の特許要件を具備しないものである。

三  本件審決を取り消すべき事由

本件審決は、事実を誤認し、旧特許法第五条第二項の解釈に関し、はなはだしい誤りを犯したものであり、違法であり、取り消されるべきものである。すなわち、Sが本願発明を実施した耕耘機を本願出願前開催された展覧会に出品し、一般に展示されるに至つたことは、本件審決認定のとおりであるが、右展覧会への出品は、同人が原告に無断で、原告の意に反してしたものである。本件審決は、この点に関し、この出品は、T農機株式会社の社員であるSが、同会社の当時の代表取締役である原告の委任を受け、同会社の名においてしたものであると認定しているが、右認定は何らの根拠がないものである。すなわち、当時原告は、前記会社の代表取締役ではなく、右出品の点について協議連絡する立場になく、右事実を全く知らなかつたものである。また、本件審決は、右出品は原告の不注意、過失、監督不行届などによるものであるともいうが(この認定は、前記委任を受けての認定と矛盾する。)、これまた、何らの証拠に基づかないものであるばかりでなく、そのようなことは旧特許法第五条第二項の解釈上問題にならないことである。なお、原告が、本訴において出品当時のT農機株式会社の代表者が原告でない旨主張を改めたのは、抗告審判手続における主張が事実に反し、かつ、錯誤に基づくものであるためであり、何ら禁反言の原則に反するものではない。また、当時Sが原告と一体となつて会社再建に当たつていたような事実はない。

第三  被告の答弁

被告指定代理人は、請求の原因に対する答弁として、次のとおり述べた。

原告主張の事実中、本件に関する特許庁における手続の経緯及び本件審決理由の要点が原告主張のとおりであることは認めるが、その余は否認する。本件審決の認定は正当であり、原告主張のような違法の点はない。

すなわち、

一  出品は、原告の委任を受けて行なわれたものである。

(一)  展覧会への出品は、T農機株式会社の出品事務担当者であるSが同会社の名で出品手続をとつたのであるか、Sの身分と同会社における副社長の地位及び同会社の大半の業務については他の役員等がその責任において一切処理していた実情から、これは社長が業務を他の役員に委任したことに他ならない。したがつて、Sの出品手続は、同会社の代表者である原告より直接又は包括的に委任されたものとみるのが至当である。

(二)  本願発明の実施品を出願前に展覧会に出品すれば新規性を喪失することは、特許に関する諸法規に通暁している原告のよく承知のことであるから、原告としては、出品事務担当者であるSが展覧会への出品に際し、その出品を阻止することができたのに、これを阻止せず、黙認したのは、原告自身の不注意、過失、監督不行届によるものであるから、その責任は原告自身が負うべきであり、そのような原告自身の不注意、過失等まで救済しようというのは本項の規定を濫用するものであつて到底許されるべきでない。したがつて、意に反して出品されたものとすることはできない。

(三)  もし、原告に出願前秘密にする意思があつたのであれば、出品事務担当者であるSその他の関係者にその旨を知らせておくことができたのにかかわらず、これを知らせなかつたために、Sが知らずに出品し、公知にしたとしても、それは原告自身の不注意、過失、監督不行届であり、その責任は原告自身が負うべきものである。

(四)  原告は、最初から秘密にする意思がなかつたものというべきである。

原告が本件発明の実施品が展覧会に出品されるのを知らなかつたというのであれば、また別の意味において、原告の不注意、過失等が論じられなければならない。すなわち、原告が最初から本願発明を出願前秘密にする意思があつたかどうかである。最初から発明を秘密にする意思がなかつた場合にこれを第三者が公知にしても、「意に反してされた」ことに該当するものでないことは、いうまでもない。

特許手続に通暁している原告が、本願発明を出願前に秘密にする意思があつたのであれば、その意思を積極的に社内関係者に知らせておくべきであり、展覧会への出品に際しても、とくに注意をすべきであるにかかわらず、それがされていなかつたからこそ、出品されてしまつたのであり、このことは、原告は出願前秘密にする意思を有しなかつたものということにほかならない。

Sも出願前の発明品であることを知らなかつたとすれば、社長、副社長の密接な間柄にあり、出品事務担当者であるSにすら知らせておかなかつたからである。それは原告が最初から秘密にする意思がなかつたからにほかならない。最初から秘密にする意思がなかつたものが、出品されたとしても、「意に反して」されたものということはできない。

(五)  また、もし最初から秘密にする意思があつたのであれば、その意に反してSにより公知にされたと知つたならば、特許手続に通暁している原告は、本願出願は旧特許法第六条(博覧会への出品の特例)の規定の適用を申し出て出願すべきである。それをせずして通常の特許出願をしたという事実は、原告は最初は出願の意図を有しなかつたために、これを秘密にする意思がなかつたものが、展覧会に出品して有用なことに気付いて出願する気になり、通常の特許出願をした結果、特許異議の申立を受けたので、新規性喪失に対する自己の不注意、過失を隠蔽するため、慌てて旧特許法第五条第二項を援用して、これを逃れんとするものである。

(六)  発明者自身の不注意、過失によつて公知にしたもの、最初から秘密にする意思を有しないものまで、自分は出品の事実を知らなかつたという一方的な主張で安易に旧特許法第五条第二項の規定の適用を受けられるのであれば、この理由をもつてこの規定の適用を受ける者が続出し、この規定の濫用を阻止することができなくなるであろう。

二  原告は、抗告審判手続において、出品当時原告が前記会社の代表者であることを認めていたにかかわらず、本訴において、この主張を変更し、当時同会社の代表者でなかつた旨主張するけれども、右主張がたとえ真実に合致するものとしても、このような主張の変更は、禁反言の原則に反し、許されるべきものではない。

仮に、右主張が許されるとしても、原告は前記会社の代表者の地位を去つた後も、同会社の顧問として会長となり、当時の代表者Mは原告の三男であり、同会社が原告とSのいわば私有の会社で、両名が一体となつて会社再建に当たつていたことに徴すれば、両名は実質的に同会社に対する支配権を有していたものというべく、老齢の原告はSに自由な活動を期待し、会社再建のため製品の販売、外交、宣伝を広範に委任していたものとみられるから、本願発明の実施品である耕耘機の出品に関し、原告はSに明示ないし黙示の委任をしたものとみるべきである。

第四  証拠関係<省略>

理由

(争いのない事実)

一本件に関する特許庁における手続の経緯及び本件審決理由の要点が原告主張のとおりであることは、本件当事者間に争いのないところである。

(本件審決を取り消すべき事由の有無について)

二本件審決は、次の点において認定を誤つた違法のものであり、取消を免れない。すなわち、本願発明の実施品である耕耘機がその出願前開催された展覧会に出品、一般に展示されるに至つたことは、当事者間に争いのないことであるところ、証人Sの証言及び原告本人尋問の結果によれば、右展覧会への出品(したがつて、本願発明の一般の展示)は、原告の長男であるSが原告に無断でしたものであるが、原告としては、本願発明の実施品を本願出願前展覧会へ出品するようなことは全く意図していなかつた事実を認定しうべく、これを左右するに足る証拠は一つとして存在しない。

この点に関し本件審決は、Sがした展覧会への出品は、原告が代表者である前記会社の委任を受けてしたものであるとし、被告指定代理人もまた同趣旨の主張をする。しかして、これらの認定及び主張の趣旨は、正確には、Sは原告が代表者であつた同会社から委任を受けて出品したものであるから、その代表者である原告個人もこの事実を了承していたものというべく、したがつて、展覧会への出品は、原告の意に反してされたものとはいえない、というものと解されるが、出願人である原告個人と前記会社とは別個の人格をもつものであるから、前記会社の委任を受けたことが直ちに原告の委任を受けたことにはならないことは、いうまでもないのみならず、成立に争いのない甲第三号証によると、原告が展覧会への出品当時前記会社の代表取締役の地位になかつたことは明らかである(被告は、原告が、抗告審判手続において、自己が右会社の代表取締役であつたことを認めながら、本訴において、これと異なつた主張をするのは、禁反言の原則に反する旨主張するが、職権探知主義の採用される特許審判では自白の法則を認めえないことはいうをまたないから、その手続で当事者が自認した事実について主張を変更することには何ら制約はないものというべきところ、まして、全く手続を異にする審決に対する訴訟において審判手続における主張と異なる主張をしたからといつて、これをもつて禁反言の原則に反するというのは当らない。)から、右被告の主張はその前提事実を欠くものというべきであるし、また、前認定のとおり原告とSとの間にこの点に関する受任の事実を認めえない本件においては、右認定及び主張は、根拠のないものというほかはない。また、被告は、展覧会への出品は、原告の不注意、過失、監督不行届によるものであると主張するが、原告個人にSをして無断出品をさせないようにすべき一般的注意義務(不注意、過失あるいは監督不行届というためには、その前提として、このような注意義務が存在しなければならないことは、事の性質上、いうまでもないことである。)があることを肯定すべき何らの資料もないばかりでなく、このような注意義務の違背があつた場合、常に、「意に反した」といえないと断ずることも妥当ではない。なお、被告指定代理人は、本件の場合のように、発明者自身の不注意、過失によつて公知となつたもの、最初から秘密にする意思を有しないものまで、出品の事実を知らなかつたという一方的な主張で安易に「意ニ反シ」たものとして、旧特許法第五条第二項の規定の適用を受けられるのであれば、そのような者が続出し、この規定の濫用を阻止することができなくなるであろうと憂慮するようであるが、その前段、すなわち、本願発明が原告の過失等によつて出願前公知となり、あるいは、最初から秘密にする意思がなかつたとすることが根拠のない独断であること前説示のとおりであり、このように誤つた事実を前提として、本願出願につき前記法条の適用の濫用を云々することは、的をはずれたものというほかない。

(むすび)

三叙上のとおりであるから、その主張のような違法の点のあることを理由に本件審決の取消を求める原告の本訴請求は、理由があるものということができる。よつて、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条及び民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(三宅正雄 武居二郎 土肥原光圀は、転補のため署名押印できない)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例